芸術的なマジックをする方法ではなく、マジックそのものが芸術と認定されるにはどうしたら良いかということを緩く考えてみました。

まずは芸術の定義からです。

げいじゅつ芸術

  1. 特殊な素材手段形式により,技巧を駆使して美を創造表現しようとする人間活動,およびその作品。建築彫刻などの空間芸術,音楽文学などの時間芸術,演劇舞踊映画などの総合芸術に分けられる。
  2. 芸・技芸。わざ。(およそ)は,…切差琢磨の功を積まざれば,その極に至りがたし読本椿説弓張月〔漢籍にある語。近世まで主として学芸技芸稽古の意。和英語林集成再版(1872年)に訳語として art と載る〕

(スーパー大辞林より)

 

2つめの定義で言うと、既にマジックは芸術に分類することが出来ますが、多くの人が想像するのは第一義の方だと思います。

美であるかどうかですね。マジックの場合、美しさを表現しているかと言われたら結構微妙なので、もう少し考え方を変える必要がありそうです。

芸術と聞いて何を想像しますか?

私は、美術と音楽です。後は文学。

美術全般で話すとややこしいのでここでは絵画にしておきます。音楽は楽器でも良いのですが、より取っ付き易い歌にします。(それは声楽では?というツッコミは受け付けません)

これらの共通点って何だと思いますか?

どれも技術が必要であること、センスが必要であること、しっかりとした理論が存在していること等挙げだしたらキリがありませんが、1つ決定的な物があると私は考えています。

それはですね…

誰でも出来ると言うことです。

上手い下手に関わらず身体が動くのであれば、絵を描くことが出来ますし、歌を口ずさむことが出来ますし文章を考えることが出来ます。(楽器も音を出すだけなら難しく無いものは沢山ありますね)

やり始めようと思えばその場で直ぐに始めることが出来て、少し上手く行けば綺麗だとか上手いと感じることが出来ます。

逆に言うと誰にでも出来るからこそ、上手い人と下手な人の差がわかります。そして上手い人の作品がより芸術性が高いと判断出来るというわけです。

 

ではマジックはどうでしょうか?始めようと思って直ぐに出来るものは殆どありません。

何故なら知識が全く無いからですまた、知識に対するアクセスが非常に悪いですし、コストがかなり掛かるので素人が取っ付きにくいと言うのもあります。

自分で試せないのでマジックを起きた現象単位でしか判断出来ません。だかこそ現象の凄さと技術の凄さには乖離があると言うことに気が付けません。他分野でもプロ視点での評価というものがありますが、ここはそういう話ではなく、一般の人が見た時に共通の評価基準が無いと言うのを問題にしています。

で、私は一般の人に共通の評価基準、感覚的なものでも何でもよく、大多数の人が持っているそこまで大きく変わらない範囲の基準が無いことがマジックが芸術に成らない原因であると考えたわけです。

例えば、俳句という有名ですがニッチな分野が有ります。

これも良い句はある程度の経験者によってしか判断されませんが、それでも俳句を作ること自体は誰にでも出来ますし、出来栄えに対して稚拙ながらもある程度の評価をくだせます。

これは俳句のルールが一般的に広まっているから起こる現象です。

少なくとも、その文章が俳句だという事がわかりますし、作ろうと思えばすぐに作ることが出来ます。季語が分からなければ、川柳になるだけです。

日本において将棋と囲碁、どちらの普及率が高いでしょうか?

私は将棋だと思います。何故かと言うと私を含め周りで囲碁のルールは知らないけど、将棋のルールは知っている人が多いからです。

ルールを知らなければ、評価が出来ない、それどころから興味すら持てないなんてことは多々あることです。

マジックに置き換えたらどうなるでしょうか?マジックの基本的なルールとは何でしょうか?私は技法だと考えています。原理は戦術や戦略に類するものだと感じています。

将棋も最初はルールを覚え、強くなりたいと思った人が戦術を学び始めますしね。

もし非マジシャンの全員が基本的な技法を知っていれば、マジックに対する評価が変わり、音楽や美術と同じように一部の突出した人たちが作る作品を「美しい」と判断出来るようになると考えています。

そしてよくある「タネさえわかれば出来る」と考える人も減るはずです。

弊害としては職業的なマジシャンのうち、半端な技術だけでやっている人、何らかの分野で突き抜けていない人が淘汰されるので、プロフェッショナルと呼ばれる人口が減るはずです。特にセミプロはほぼ消えるかもしれません。

ただ、これは現状存在しているマジシャンの損失であってマジックの損失ということにはなりません。

動画配信サイトにタネ明かしをアップすることに対しては私もどうかと思う時もありますが、結局は興味のある人が検索してたどり着くのであって、その内の何割かが実際にマジックを始めたのであれば、それはマジック界にとっては利益になるはずです。

(個人的にタネ明かし動画を作るなら基本的な技法に留め、元々は誰々がやっていて〜と歴史的な話があるのであれば良いのではないかと思っていますが、考案者が存命の物やギミックのタネ明かしは駄目だと思っている派です。これはタダの損失だと思います。)

もし見る人全員が技法の知識がある状態で、それでも尚見ていて「不思議」なことが起こせるのであれば、その人はまさしく本物のマジシャン、プロフェッショナルを名乗れるのでは無いでしょうか?

そうなった時、私の居場所が有るかは分かりませんが…(゚∀゚)

追記:

たまに勘違いされるようですが、これは種明かしを安易にするとダメですよ!ってのがメインの主張です。

見る人全員が難しさを理解できれば、確かに芸術として広まるか可能性は僅かにでもありますが、マジックとしては死ぬというお話です。マジックは知識の不均衡による不思議さを売りにしたエンターテイメントなので、細かく評価されるほど知られた時点でマジックとしての面白さはなくなります。

仮に芸術になったとしても、他分野と勝負するには弱すぎますしね…最大の長所が奪わた状態で他分野と勝負するのは、竹槍で戦闘機を落とそうとするような行為です。

マジックがスライハンドだけで成り立っているわけでもありませんし、今回の話は前提がそもそもおかしいわけで…これを鵜呑みにして「種明かしをすることは芸術につながる!」と思う人が増えないことを願うばかりです…まぁ、ここの読者でそんな浅慮な方はいないと思いますが…

私の基本的な考えは「マジックの秘密は知ってる人が少なければ少ないほど良い」です。