小難しそうなタイトルにしてしまいましたが、内容としてはとてもシンプルです。

私が考えるメンタリズムとマジックの違いについてで、これが答えってわけではありません。ここ1年ほどメンタル系の現象やメンタリズムについて何人かの話を聞く機会があって、それらの話を加味した上で私個人の意見も語ってみようかなと…

目的が違う

これが最大の違いだと私は考えています。

マジックの目的

何故マジックを演じるのか?と聞かれて直ぐに答えられる人が多い…かは分かりません。

私の予想では、マジックの凄さや楽しさを知ってほしいってのが大部分を占めているはずです。たまに人を笑顔にしたいって人もいますが、それならお笑いをすれば?と思っているので、個人的にこの手の人とは意見が合いません(ぉぃ)

いずれにせよ、人を笑顔にしたいって人も、結局はマジックを見て欲しいって気持ちが根底にあると考えられます。

つまり、マジックの目的は、マジックを見せることだと言えるわけです。

メンタリズムの目的

これもエンターテインメントとして考えた場合、メンタリズムの凄さや楽しさを知ってほしいってのは勿論あります。

ただ、最終的な目標が見せて終わり…なのではなく、メンタリズムを行使する演者が称賛を浴びる構造となっています。

マジックでは、マジシャンよりもマジックそのものにフォーカスされるのに対して、メンタリズムでは演者自身に焦点があります。

究極的に言えば、メンタリズムはおまけなんですよね…

最初からすごそうな人だと思われていれば、何か発言するだけでよく、不思議な現象を毎回見せる必要はありませんし、それが理想でもあります。

そういう意味では、メンタリストDaiGoは非常にメンタリストらしいメンタリストです。自分をブランディングするためのツールとしてメンタリズムが使われていました。マジシャンから結構批判があるようですが、そもそもメンタリズムは自分を大きく見せるのが目的の1つですし、そのためには嘘もペテンも使うってのが普通なので、実にメンタリストらしいなと思っています。

マジックがすごい

マジシャンはよく、「マジシャンがすごいのではなくマジックがすごい」というフレーズを使います。

これは自戒を込めたフレーズで、マジシャン本人の能力ではなくそのマジックの構造や培われた理論がすごいからできるのであって、それで天狗になってはいけないって意味で使われているはずです(多分)

ただ、これはメンタリストには全くあてはまりません。なぜなら、メンタリストは自分が凄いってことを見せるためにメンタリズムを行うからです。

手段と目的

マジックはコミュニケーションツールだ!なんて言う人がいますが、実際にマジックをコミュニケーションに使っている人をほとんどみたことがありません。私の知る限りマジシャンの言うコミュニケーションはほぼ一方通行であり、観客は何かを選ぶかリアクションをする機械みたいな扱いになっているケースを多々見かけます。

マジックは目的であり、メンタリズムは手段

すでに書いたように、マジックの目的はマジックを見せることであり、メンタリズムの目的はメンタリストの凄さを証明することにあります。

メンタリズム的な考え方は一見傲慢な感じもしますが、実際にはマジシャンよりもパフォーマンス後のコミュニケーションが円滑であるケースが多いと私は思っています。

異論は認めます

今回書いたことが全てではありません。

私自身、数年前にテーブルホッピングで普通のマジックをしていたころから、マジックは手段として使っていました。円滑なコミュニケーションを保ち、お客さんに追加オーダーを進め、店の利益に貢献する目的がありました。いきなりお金の話になったのもちょっとアレですが…お金って分かりやすい目的なんですよね!

例えばマジックを演じる際に、コミュニケーションと称して観客いじる人がいます。いじりと称したなんちゃってコミュニケーション(?)は上手く行けば評判も良くなり、次回や別の機会に繋がりますが、もし相手が不快になり、その場では盛り上がったとしても主催側に苦情が入った場合、次に呼ばれることが無くなるかも知れませんし、別の機会すら失うリスクがあります(主催者が来て欲しいと思っているのはマジシャンではなくお客さんなので!)

マジックを見せることが目的で、その場の最大瞬間風速があれば良いって考える人と、継続して収入を得たい人は演じる内容が変わってきます。外で演じるマジシャンはだいたいがリングをつなげ、シルクやアピケンを取り出し、テーブルを浮かせ、スケッチブックからボーリングのボールを取り出すという話聞きましたが、これは継続した収入を得る目的を達成するために無難に済ませるしかない、受けネタをやるしか無いって考えから来ているのかも知れません。(単に思考停止しているだけかもしれません…)

もちろん、メンタリズムを演る人でも、メンタリズムが目的になってい人がいますし、考え方なんて人それぞれです…(ぉぃ)

自分の場合

出演時には、マジックともメンタリズムとも形容し難いルーティンを行っています。

場合によってはワザと不可能性を下げるなんてこともしていますが、それはある目的に沿うためです。

私の目的

「観客と良好な関係を築き、演技後の会話を円滑に進める」です。これは普通のマジックをしていた頃から考えてたことで、メンタル・エフェクトが中心となって今でも変わりません。

催眠術をやる上でも観客との良好な関係は必須であるため、自称プロマジシャンがやるような過度な観客イジりはしないようにしています。見極めてやるから平気なんて人もいますが、実際のところ相手がどう思っているかは分かりませんし、他に良好な関係性を構築できるのであればリスクを犯す必要も無いと考えています。

自分で定めたルール

目的を達成するために幾つかのルールを自分に定めています

  1. 嘘を極力つかない
  2. 観客をディスらない
  3. 観客を不快にさせない

2と3は近いように感じますが、観客を貶めないってのが2つ目であり、3つ目はルーティン的に不快感があるものを避けるってことです。

1つ目の嘘をつかないってのは、例えば読心術をやったときに「心理学的に〜」みたいな自分でも思っていないことを話さないということです。もちろん、ちゃんと表情から読み取っているケースなどでは、多少ぼかして「表情の変化」という話をしますが、それでも最低限相手が納得するかしないかあたりのラインを狙っています。

というのも、自分でも思っていない事を言う、極端な嘘を付くと、その後のコミュニケーション時に問題が起きやすくなります。これは私の望むところではありませんし、嘘に嘘を重ねると良好な関係を築きにくくなります。なので、極力嘘をつかなくて済むルーティンがメインになっています。

それこそ脈から読んだり、サイコロジカル・フォースを使ったりですね。アウトはもちろんありますが、ベストパターンのケースではほぼピュアスキルであるため、何も後ろめたい部分はありません。(最初から後ろめたさなんてないだろ!ってツッコミが聞こえてきそうですね…)

そして、最初に書いた不可能性を下げるってのは、不可能性を上げすぎるとトリックを最初に疑われるって理由があります。何か現象を起こしたとして「え?後から書いたんじゃない?」とか「すり替えたでしょ?」と尋問が始まってしまうと、それは円滑なコミュニケーションとは言えません。これに加えて、嘘八百な理由を言い始めたら胡散臭さしか無いですよね?(^ρ^)

結論

自分の思うがままにやれば良いんじゃないですかね?

アマチュア(金銭が発生しない人)の場合は、見せることが目的でも構いませんし、プロ(金銭が発生する人)でもやりたいことをやる!って人はそれでも構いません。自己責任です。

ただ、職業的マジシャンとアーティストは違うと思います。この話は別の機会に話してみたいですね…

脱線しすぎて最初に終わろうと思っていたポイントから、3倍位書き足していました…ここで終わります…