どうもおはようございます月ノ風です。

明けまして!おめでとう!ございます!
いやぁ、もう年始の忙しいシーズン乗り切った感あるからさ、今年初めての投稿ってのをついさっきまで忘れてましたよ。
レビューかくつもりでさっきおさらいとしてDVD見てたくらいです。これ来週に回します。

いやね、このブログのサイト開いて、これが今年初だということに思い至ってですよ。
することあるじゃないですか・・昨年の1月1日に私が投稿した内容覚えてます?覚えてる人一人もいないだろうなという自信を持って訊ねてますけども()

自分の思想が変化したかどうかの比較ができるね!って感じの内容を書いたんですよ・・

はい、というわけでちょっと振り返る企画ーどんどんぱふぱふー

過去を振り返る

いや、ちょっとびっくりしました。
私も内容覚えてなかったんですよ。それで読んでみるとどうですか、魔法を求めてますよ。
そうかー、去年の初めのころは魔法感で悩んでた頃かーって感じです。

これねぇ、あのー、魔法感っていうのいくらか考えたんですけど、無理だなと。
なんていうんだろう、マジックって考えうることをどうにかして再現してやろうみたいな分野じゃないですか(パケットみたいな賢い手順みたいなの求めてない人)
もともと私ファンタジーが好きで、魔法も好きで、マジックで魔法に近づきたかったんですよ。

魔法もいってしまえば願望をダイレクトに実現する手法なんじゃないかなって思うんですよ。そこらへんマジックと似てますよね()

で、ですよ。ファンタジーのゲームとかで、MPを消費して、発動用の図形描いたり呪文を唱えたりして、思い通りの魔法を発動してますよね。
材料があって、手順(過程)があって、再現性があるんだったら、それは科学と近しいのでは・・?
計算ができるわけじゃないですか、要件も洗い出せるわけじゃないですか、実験も繰り返せるじゃないですか
これが現実にあれば何故起きるのかどの段階で再現できなくなるのかの研究がすすんで、きっと「神の力」みたいな思想は消えて、人が利用する「力(重力のような)」の一つに成り下がるんだろうなって思います。

じゃあなんでそれが魔法として存在(認識)し続けられるんだろうかって思うと、私たちには既に科学が存在するからなんだろうなと。
科学では補えないロマンを詰め込んだのが魔法なんだろうなと。(魔法には科学という存在を脅かし確立する役割があると思います。ここらへんは人の思想やら宗教やらの発生とかに近づいてくると思うのでノータッチ。ただ、人の思考、人が言語で認識する世界は否定によって支えられていると思っています。魔法という存在は明確にそう定義されなくても必要なはず)

まぁ、ロマンで片付けたのは深く掘り下げるつもりがないからなのでそこらへんで流してください()
というわけで、魔法とは科学と対立するためにつくりだされたロマンなんですよ(強引)
いやまぁ、もともとは違ったんでしょうけどね、奇怪な手法を用いてるぞ!人であることをやめおったぞ!悪魔と契約したんちゃうか!みたいな

現代でいえば理想的なクローンを個人で作ってれば近い騒動おきるんじゃないですかね。「科学(人の手が及ぶ手法)では不可能」と思われれば、魔法というカテゴリにふりわけるんじゃなかろうか。さらにいうと、不気味であって気持ち悪さがあるほうがいい。おそらく自身の(平穏な)世界が脅かされるという恐怖心を喚起されなければこうしたカテゴライズは積極的にはしないんじゃなかろうか。元はね。
今では「魔法」という概念が多くの人と共有できているのでもっとイージーに魔法というカテゴリを使われるでしょうけど

いやまぁ、それはいいんですよ、私はもっと夢の詰まった話をしたい。
そう、魔法はロマンなんですよ。少なくとも私にとってはそうです。で、私がそんな魔法を披露出来るのかというと無理だなぁと
マジックの演技を大体5~10分としましょう。魔法を披露すると考えたとき、皆さんはどうします?
できることならなんかそれっぽい砂とかでなんかしらの図形描いてそこから火がおきたりしたら楽しいじゃん?でもむりじゃん?いやまぁお金つぎ込んでいいならできるんだろうけどさ
本から火を出すギミックとかあるしパイロミニとか袖に仕込んで「ファイアーボール!」とか言いながら撃ってもまぁそれっぽさはあるだろうし

でもねぇ、限界があるんですよ。
火を出せたとしましょう。水を出せたとしましょう。でも出しただけじゃあまり意味がないなって気付きました。それをみてワクワクしてくれないと夢のある魔法じゃないんですよ。
私は魔法はロマンであって欲しいんですよ。奇怪な術になるかもしれないけど、忌み嫌われるような魔法はあまり使いたくないんですよ。
元々ビザーを学んでましたけど、それがもっとも響きやすいと思っただけで私怖いのとか嫌いなので実演はしませんしね。いや、楽だとは思いますけど。

じゃあ私にとって重要なのは「魔法を起こす」ことではなく、「魔法を楽しんで貰う」ことだなと
で、自分は万人が楽しめるような魔法に心当たりがないんですよ。またちょっと別の話を含むんですけど例えばハリー・ポッターの世界を体験できればきっと多くの人は楽しめるんでしょうけどね。そんなのそうそうできないじゃないですか(とはいえ実際私がやろうとしてることはこれに近いところがあります)

だから、私は「魔法を借りる」って言ってたんです。
あなたが思い描く、あなたにとっての魔法を貸してくださいってことです。それならあなたも楽しめるでしょ?みたいな。とてもメンタル的な発想だったと思います。

これが去年ですね。

過去から一年経て

 

今は実のところ割と諦めてます。いや、魔法にこだわらなくなったって感じですかね・・
別にベースは変わってないんですよ。客から何かを借りるっていうのは
ただ、魔法ではなくエンターテイメントを重視するようになったって感じです。それが魔法的ならなお良いとは思うんですけど。

元より楽しんで貰うために魔法を求めてたんですけど、マジックって別に魔法じゃないなって()

最近も「魔法感のあるタッチ」みたいなのをレクチャーで聞きましたけど、いやぁ・・なんかちゃうなって感じがしたんですよ。
あぁ、それはマジックの魔法感だなって

実際私も通った道だったのでそれがダメとか言いませんし参考になりましたけど、魔法であるっていうのはそうじゃないんちゃうかって
動き方とか間とかは重要ですよ、それこそ私が初期から言ってる「流れ」ってここに直結する話なんですけど、魔法って披露するものではないよな的な感じになってます。
感じて貰うものだと思うようになったんですよね・・

何が違うねんってとこでしょうけど、なんだろう、ほんとにベースは変わってないんですよ。ただ病状が進行したみたいな感じで()
元々「私が魔法だといえるようになりたい」って言ってたんですよ。これマジック初めて1年そこらくらいに言った言葉のはずなんですけど、今はそれがもっと強いです。
やっぱりマジックに求めてるものって初期から芯は変わらないんだなって。

で、多くの魔法を披露できるようになりたいっていう思いから、今では私がいる場所では何かが起こると感じて貰いたいって願望に変わりました。
魔法をみせるんじゃなくて、感じて貰う。できることなら、非現実の時間を味わう以上に心を豊かにしたい。
披露する魔法ではその場限りのイメージが強いんですよ。でも私は響かせたいんです。その時間がその人の心に残って欲しい。
だから魔法をより信じられるようなかたちを求めてます。

私自身は魔法らしい魔法というのはあまり求めなくなった気持ちでいるんですけど、それは多分悪化したんだろうなって感じです。
私が魔法になればいいんだから別に現象に魔法を求める必要はないよな的な気持ちになったんですよ()
いや、できないんですけど。まったくその片鱗すらないんですけど。ちゃんと段階踏んで成長しないといけないのに目処すらたってないんですけど。

でも、理想というかなりたい自分の形が少し変化して、理想が「魔法を披露できる人」ではなくなったなって感じです。正直披露するのはもう魔法じゃなくてもいいと思ってるくらいです。
結局私の好み的に演技は偏るでしょうけど、でもまぁ、客が楽しめたら、この時間を過ごせてよかったと思えたらいいんじゃないの的な、開き直りに近い気持ちになってます。
結局重要なのはそこでしょみたいな。私は私で理想は目指しますけど、前ほどは「魔法」を求めなくなってきたなぁって感じです。(でもマジックを演じるなら魔法であって欲しいとは思ってます。パケットとか未だになかなか好きになれないし)

まぁ、これがこの一年ですかね。理想的な在り方に少し進歩がみられますかね・・一年かけた割には遅いかな・・?
私は他者との関わりが薄いので影響されることがすくなくて、自分との対話で進めてきてるので自分の本心から言えるってのは一つの強みかなとは思ってるんですけどね。まだ妄想していられるというか(現実の厳しさに当てられたら丸くなるしかないでしょうからそれまでにできるだけ尖りたい)

おわりに

思ったより書いたぞ・・魔法を求めてるかどうかみたいな話でしかないのに・・
これ来年が怖いですねぇ・・いや、「なーんもかわってないべや」って結果になるかもしれないんですけど

でもやっぱり1年もあればちょっとは変化するもんなんだなぁって。というか、自分の中では1年前の自分まだここだったのかってちょっと驚いたくらいです。
きっと何かの本とかに書いてたらどんどん飛ばしていけるんでしょうけど、私に関しては引きこもり独学勢ですし、理論書とかはあまり読まない勢なので・・
いや、読むべきだとは思ってるんですけど・・いまだに自分がどれ程の想いを持ってマジックに取り組んでるのかわからんというか・・

ぶっちゃけ理論書に影響されたくないみたいな気持ちがあります。先人の知恵とか経験とかに触れれば成長は早いし間違いも減るでしょうけど、なんか、不純物が混じった気がして・・

これすごい失礼な話やなって思うし実際今までも色んなレクチャー受けてきたしその度に自分なりの消化をしてきたので別に危惧してるようなことにならんだろうなと思うんですけど、なんか、負けた気持ちになりません?あぁ自分でもそれは思い至ってもおかしくないことだったのに的な

私もっと引きこもってた時期に哲学の本とか読んでたんですけど(中二感)、その時に「うわぁぁぁぁ」って気持ちになったことが割とあって
なんでや!ここにわしも自力で至れたはずやぞ!その材料はもう持ってるやろ!的な
読んでしまったからもう自力ではたどり着けない後悔みたいな

なまじ他の部分が既に自分である程度考えたことだったりしたせいで、その発想はなかったみたいなのに触れると悔しくて・・

知りたいとか豊かになりたいとかだけじゃなくて、自分の力を試したいみたいなのもあるんだろうね、めんどくさいね。
別に行動力があるなら上手くかみ合いそうな性格してるなとは思うんですけど怠惰なので・こいつがもう、ほんとに・・もうちょっと勤勉ならもっといい人間になれたんやろなって思いますわ・・

まぁ、それはいいや、これ新年の投稿やぞ

来年ね、どう変わってるのかが気になるところですね!(無理やり締める)
今年・・理論書に手を出してみようとは思います・・いうて4年近く自分の路線探ってきたわけだしね、そろそろ取捨選択できるやろ・・
あとは読む気力や・・(どっかで似たようなこといったことある・・?)

はい、ではね、来週はレビュー書くと思います。多分。
なんか種明かしどうこうが賑わってたのでそれに触れる可能性もなくはないけど、一応もう見おわったのあるのでね・・

ではでは、また次回